HAKIDAME

日記、愚痴、考え事、美容。

WILL

自死にあたって遺書を残すことのできる人の不思議さよ、ある意味、普段よりも思考が冴えわたっているのでしょうか。
それができない私は、後出しの言い訳は嫌いだが、自己の理解を目的にこれを書いてみようと思います。

先日2晩に渡ってOD(過量服薬)による自殺を図りました。結果はまぁブログを更新している点でお察しですが…。
希死念慮と一口に言えどその中には逃げ出したいのと、これに駆り立てた原因に報いてやりたいという2つの要素がありました。

幼少期からそういう素質はあったものの、社会人になって2社目に就職した会社でのパワハラで精神の分裂が顕著になったような気がします。
真面目で、落ち着きがあって、何事もそこそこ無難にこなせる自分と、全てがめちゃくちゃで人の不幸をオヤツに生きている自分の2人が混在しているわけで、もちろんどちらが社会に受け入れられるのかは分かっている。だから、私を善い人だ、と思う人は前者の私を見るのでしょう。
時に私の心身の全てを知りたい人もいるでしょう。知った暁には、こんな奴だと思わなかったと失望し、悲しみ、また憎むでしょう。

私自身、負の部分を知られれば失望されることは分かっているので、距離を置かれることに関してはあまり悲しくありません。
しかし、この飄々とした態度が更に人をたきつけたのか、はたまた私の正の部分か、負の部分かが忘れられないのか、数年越しの報復の音がありました。

忘れた頃に、期をはかったかのようなタイミングでそういうことがあったので、きっと、お互い干渉しないと約束しておきながら私のことを監視していたのでしょう(という証拠が実際に出されたので、被害妄想ではありません)。そんなに何かが惜しいのか、私だったらありがたいが、おそらく金とプライドでしょう。

それで、行き場のない〇してやりたい怒りと、明日からこの苛立ちや悲しみ、恐怖でなくアグレッシブな方向へ向かっていく自身の異常さをどう隠し生きればいいのか分からなくなり、意識を失って無になりたいと願っての服薬を行ったわけです。処方薬であることと、大変に強く副作用も酷いものなので、名前は控えますが、とにかく多種多量に飲みました。
4時間後、猛烈な吐き気と多幸感がありました。お金もかかるし助かりたいとも思わないので救急車を呼ぶ気はなく、吐き気だけ除く方法を聞きに相談ダイヤルへつなぎました。方法はありません、救急を呼んだほうがいいです、お繋ぎしましょうかと言われたが、なんとなく笑っていいで~すと切った気がします。
覚えていないのですが、1度目は何か薬を飲まされて、警察に送り届けられて終わり。
その夜また同じ気持ちになって服薬、同様の流れで別の病院へ搬送され、気づいたらたくさんのベッドが並ぶ?緊急処置室で大嫌いな点滴(針)が刺さっていました。針に対する嫌悪感と、薬の作用も相まって全身が痛く、震え、視界が揺れ、しかし意識は朦朧としているので、苦しいとか、逃れたいとかは思いませんでした。
高速道路が使えない、母と祖母がタクシーで駆け付けました。
夜は明け、家に帰り昼食を取ろうとまた家を出た時、すっかり毒された身体は全く力が入らずノーガードで転倒しました。
ブランドものを身に着けてなくて、よかったな~とかのんきに考えて、現実味のない感覚の中、お気に入りの店で母や祖母にいろいろと買ってやり、ファミレスで昼食をとりました。まだ焦点の定まっていない目が、信じられない速さで揺れていたらしいです。

少し時間を戻しますが、家に帰った時間はすでに昼、いつもなら私の大切な3羽の檻にかけた覆いを取って起こしている時間なので、永遠に来ない朝を不安に感じていたのか、部屋は大変に静かでした。一番遅くに生まれた1羽が心配そうな顔で私を見上げたのが、今回の行動で最も後悔した瞬間でした。

暫くして安心したように餌を食べ始め、イイコチャン、カワイイネ、オシャベリジョウズ、と、私が教えた言葉を繰り返しているのを見て、彼らに対し無責任なことをした自分を責めました。人と違って何の悪意もない、この狭い部屋と私の事しか知らない生き物を、エゴで孤独や不安たらしめたためです。
また、こんな愚か者は死んでしまえという気持ちがあり、その夜も心配した母親が警察を呼ぼうとしたわけですが、なんとか、睡眠薬だけ過量して夜を越しました。

翌朝、早めに起きることができたので、この子たちのためにも、こんなことではいられないとお世話になっている先生の病院へ行き、長めの相談に乗ってもらい、件は一旦収束しました。
最低でも2週間の休養が必要だと言われましたが、社会の評価と預かっている命を養うためにはそれを受け入れている時間など私にはありません。

長くなりましたが、内容は違えど様々な苦境を乗り越えて生きている人は、どうしているのだろう。これは自分をいくら顧みようと理解不能なものです。
それでも私は、幼い頃にやりきれず、死してから後悔することしかできなかった小さな生き物たちの、これからの命に報いるために、懺悔の日々を送るのみです。