我流・地球の歩き方(アメリカ編)
前回の「我流・地球の歩き方」では、生まれて初めての海外(韓国)の話をした。
この後約1年後、私はアメリカ、ミネソタ州のある大学に学部留学することとなるが、それは韓国での生活を凌駕するつらく厳しいものなのである。
居眠り癖がひどく、韓国研修で先生にマークされていたためか会話スキルが飛躍的に上昇し、Enlightmentとはこのことか!と思うくらい英語が口から出るようになった。
そういうわけでTOEFLやIELTSを受けて学内、学外(ビザ)用ともに基準を合格し、晴れて念願だったアメリカの学部(History)に参加することとなった。
ちなみに私は高校時代、日本史を専攻していたのでここで世界史も学んでしまおうと思ったのがきっかけであるが、実際はお金さえ払えば好きな授業を受けることができたのであまり学部選択は関係ないが。
そういうわけで朝焼けの中、空港に向けてどでかいスーツケースに半年分の荷物を詰め込み、友達2人と落ち合って14時間のフライトの末未踏の地にたどり着いたのである。
ニューヨークやシカゴと違ってさしたる都市部でもないミネソタの空は広かった。が、車の交通量が多いのか、私の住んでいた田舎のような空気の清涼さはなく、なんとなく「来てしまったな…」という半ば鬱屈した気持ち。空港への迎えは黒人学生のバンだった。
ここでの生活はバイトでためた50万+αが元手だったため、私が滞在したのは一番安い寮(おばけと虫がめちゃ出るとのこと)で、冷蔵庫も扇風機もない。一応ミネソタはカナダとの境にあるのだが、高緯度なので夏は夜9時くらいまで明るく寝苦しい。お風呂は共用で、明かりもないカーテンのシャワールーム。水は硬水。照明は薄暗い。ドアは立て付けが悪いのか少しでも風がふくとガタガタなっていた。
食事は学期パスのようなものを購入したので、食堂で際限なく食べることができたがほとんどが塩と砂糖と油のオンパレードだったので、オートミールやサラダを中心に食べていた。ピザが一日中食べられたのがどうにもアメリカらしかった。
授業は学部留学なので、もちろん現地の学生と同じ部屋同じ教科書同じ問題を解く。最初3か月は教授が何を言っているのか全く分からず、たった5問のクイズですら1問正解してまあ良しと、今考えれば仲間がいなかったら羞恥心でダメになっていただろう。
特に私は他人よりリスニング能力に劣っているので、口頭での質問とかは最悪だった。
(それでもなんとか話せ!と韓国の教授が強制してくれたおかげで発言はしていた)
夜は3時まで教科書を読んで、朝もご飯を食べてすこししたら日がな授業へ赴く生活。自分の部屋には何もないし、買い物ひとつに徒歩30分。何より冬場はマイナス30度を下回る気候なので、ほとんどAmazonを使うしかない。死の危険である。
寒くなると暖かい場所を求めて、ゴキブリやネズミだけでなくムカデ類なんかも出てきた。おかげさまで色素の薄いムカデとは共存できるようになった。
なんだか生活面での苦労がやけに目立つが、それくらいしか目を向けている余裕がなかったのである。勉強して、ご飯を食べて、寮でまた勉強して寝る。ただその繰り返し。夜は危なくて出られないし、冬も命の危険があるから出ない。
大学受験ぶりの勉強漬けな毎日にこれってアメリカにいる必要、あるのか?と何度も自問してしまった。
がやはりこの体験は一生の財産だと今強く感じている。海外での支払いや物事の真偽を見極める方法、案外自由の国でもないってこと、それとアカデミック、ビジネスレベルの英語スキル。帰国してすぐに資格がないまま就活に出たので、一社目は出せば入るような会社だったが、2社目では半年後から頻繁な海外出張に出してもらったし、1人で商談もできた。ビジネス英語検定の資格も一応とってみたりした。
今、最終的に自分がつきたかった仕事に向けて再度勉強中の身ではあるが、先の不安はコロナ禍でも特に感じていない。あれだけ先の見えない生活を送ったし、恥ずかしく辛い思いもしてきたのだから、今更自分が少しばかり大変な目に遭ったってなんだってんだ、日本ならどこだって生きていける。
というわけで、野垂れ死ぬ確立が限りなく低いこの母国に落ち着き、海外就職は考えていないがとかくまだまだ勉強、努力、勉強!という、精神の屈強さは養われたと思うのでした。